嫉妬の経済学 jealousy Economics 2003 5 5
日本という国には、何をしても金持ち優遇だという議論がある。これは、やむを得ない。
日本という国は、看板は資本主義国であるが、実態は社会主義国であるから、しかたない。
社会主義国を象徴しているものは何か、それは「規制」(kisei)というものである。
この発想は、国民というものは愚かであるから、
優秀な官僚である我々がルールを決めてあげるというものである。
しかし、決して、官僚を批判してはならない。現実はそうでしょう。それは身近なところでわかる。
優秀な官僚は、毎朝、テレビ番組を見て、どう思う。
経済、外交、国防と日本が戦後最大の危機に直面しているのに、なんということか。
我が民の知的レベルは、こんなレベルだったのか。
愚かな羊の群れ。我々は、この羊の群れの大群衆を率いる、羊飼いなのだと強く自覚する。
また、優秀な官僚は、こうも思う。
一般庶民が金持ちに嫉妬しているが、これも経済の基本をわかっていない愚かな人たちと思う。
あなた方は自分たちが愚かであることに気づいているなら、まだよいが、それすら自覚がない。
そうであるならば、やはり我々が、迷える羊たちを率いる羊飼いになろう。
羊たちが迷わないように、我々が、羊飼いが生活のルールを決めてあげよう。
身近な経済の例をあげよう。
あなた方は、プラズマテレビという超薄型で、壁にも掛けられるテレビがほしい。
しかし、買えない。それは、値段が高くて、とても庶民には買えない値段だからだ。
ところで、その高い値段をただ眺めているだけでは、永久に買うことはできない。
では、どうするか。お金のある人たちにプラズマテレビを買わせればいいではないか。
どんどん、多くの金持ちにプラズマテレビを買わせるのだ。プラズマテレビが多く売れるようになる。
するとどうなるか。プラズマテレビの値段が下がる。これで庶民はプラズマテレビが買えるようになる。
こうやって、うまく金持ちに、お金を消費させ、物の値段を下げさせる。
この寓話で、自分たちの過ちに気づいたであろう。
金持ちに嫉妬するということは、資本主義社会を否定することになるのです。
かつて、金持ちを否定して、みんなが貧しければいいのだと考えて、
その思想の元に国家を作ってしまった国民があった。結果はどうなったか。
貧乏を愛せば貧乏になるという法則を学習するために、70年もかけて文明実験を行なった。
そもそも、あの王朝の下でやるべきは、資本主義革命だった。
それを何を勘違いしたのか、共産主義革命をやってしまった。
この共産主義革命で国家を作る時、大量の血が流されたことを忘れてはならない。
さらに、この共産主義国家を維持するために、大量の血が流されたことも忘れてはならない。
あれが、国民が貧乏の道を選ぶか、成功者の道を選ぶかの分水嶺であった。
偽りの道を歩む者には、偽りの報酬が与えられる。
しかし、今度は、この共産主義国家を解体するのに、血は流れなかった。
これは、歴史に残る大事業となった。
さて、金持ちに嫉妬するとどうなるか。すると金持ちを否定する感情が起きてくる。
さらに金持ちになりたくないという気持ちまで起る。
金持ちになりたくないと思うなら、永遠に貧しいままだ。
成功者を嫉妬してはいけない。成功者がでたことをお祝いするべきなのです。
成功者を育てて、自分もいつかは成功者になると誓い、成功者を学ぶ。
これが資本主義社会のあるべき姿なのです。
知恵ある人なら気づくべきだ。
嫉妬を感じる相手は、自分の理想像を教えていないか。
あなた方は、活躍しているプロ野球選手に嫉妬するか。しないでしょう。
ところが、大学野球や社会人野球で活躍しているあなたは、活躍しているプロ野球選手に嫉妬するでしょう。
嫉妬を感じる相手こそ、自分の理想像を、自分の目指すべき理想像を教えている。
成功者がでれば、嫉妬してはいけない。成功者にお祝いの言葉を言うべきなのです。
これは、自分の理想像を肯定することになるのです。成功者へ近づく一歩なのです。
さて、寓話をもうひとつ。
今は昔、成功者の町を探し求めている男がいた。
長い旅を経て、やっと成功者の町があるというウワサを聞いて、その町を目指した。
そして、道案内を求めて、道に立つ老人に成功者の町への道標を聞いた。
老人はこう答えた。
「成功者の町は確かにあるが、お前は成功者の町には入れない。
成功者の町には、成功者しか入れない。」
これは寓話で、この成功者とは、現実にお金があることではない。
成功者の町に入るにはまず、その心が成功者になっている必要がある。
心が貧しいままでは、成功者の町に入れないということを教えている。
ましてや、成功者に嫉妬しているあなたは、門の前にすら立てない。
そうであるならばまず、心から始めて成功者になるべきだ。
以上、いかに「学ぶ」ということが重要か、理解できたはずです。
知識を身につければ、社会からも自立し、国家からも自立するのです。
知識を身につければ、社会からも自由になり、国家からも自由になるのです。
これが真の自由なのです。
知識がない者は、よく言えば、社会からも、国家からも庇護されているのですが、
悪く言えば、社会からも、国家からも支配されているということなのです。
しかしながら、庇護者である国家は、巨額の財政赤字で、
もう、あなた方の保護者であり続けることはむずかしいのです。
もう、国家に何でもかんでも頼るという時代は終わったのです。
自己決定と自己責任の時代、社会からの自立、国家からの自立、自立の時代
これで、社会的大人、国家的大人に成長できるのです。
近代社会の原点というか、出発点を忘れている。
みんな理想に燃えて、階級社会を倒して、自由な社会を建設したのではないですか。
その社会は、誰でも努力をすれば、成功する社会、
お金はなくても、学問を身につけて、成功する社会、
これが近代社会の出発点であり、原点だったのです。
この「努力」や「学ぶ」を忘れると、どうなるか。
先人達が、血を流して築いた自由社会が終わりとなり、階級社会が始まるのです。
昔の階級社会は、お金や資産を持っているか、いないかの階級社会でした。
これからの階級社会は、知識を持っているか、いないかの階級社会です。
また、同じ過ちを繰り返すのでしょうか。